刃物の国

伝統の「生き物」砥石で復活

 

 「白紙(しろがみ)」「黄紙(きがみ)」「青紙(あおがみ)」という呼び名の鋼があります。他に銀シリーズというステンレス鋼もあります。いずれも日本が世界に誇る高級刃物鋼であり、日立金属安来工場(鳥取県安来市)で生産されるヤスキハガネを指します。日本の刃物のほとんどにこのヤスキハガネが使われ、世界では例えばカミソリの素材の40%余りを供給しています名だたるブランドの刃材はいずれもこのハガネです。白紙、黄紙、青紙の呼び名は、同じサイズの製品を、どのハガネか簡単に見分けられるように、目印の色紙を張り付けた事によるのです。

 含有炭素量と熱処理の違いによる組み合わせでハガネの種類は細かく分類されますが、大きくは右記三種に分けられます。白紙、黄紙は基本的には不純物を極力低減した純粋な炭素鋼で、白紙の最高級品が日本刀に使われます。青紙はタングステンやクロムを添加して熱処理特性及び耐摩耗性を改善した鋼種で使いやすく、かんなに多く使われるのがこのハガネです。

 なぜ安来かと言えば、ここは古来、出雲と伯耆のハガネを積み出す港町だっことによります。中国山地に産する真砂(まさ)砂鉄は不純物が極めて少なく、「たたら製鉄法」によって玉ハガネに精錬され、千年余りに及ぶ刀匠の伝承技術によって鍛えられ、日本刀に仕上げられていました。精錬に必要な木炭はこれまた中国山地の豊かな森林によってもたらされました。

 かつて職人の経験と伝統に依った「たたら製鉄法」も科学的データが駆使されて安定し、ハガネの量産は可能になりました。ただ、それを刃物に作る過程で、鍛冶の腕に依る違いは存在します。焼き入れ、職人とハガネとの相性、職人の性格等々によります。当然「名人」と言われる人を生み出す余地があり、実際著名な鍛冶は多数活躍中です。和鋼は生産から道具になるまでの流れが、今なお完全に工業的にならないところが妙に生き物めいています。

 日本刀をつくる鍛冶の血は必然他の刃物鍛冶にも流れ、大工、指物他の木を扱う職人の道具に生かされてきました。この道具がなければ精緻な技術に裏打ちされた木の文化が生まれる事はありませんでした。森林資源もただの原生林のままか、せいぜい燃料に利用されて終わっていたかもしれません。木と刃物、この二つを手にした私たちの祖先は世界に冠たる木の文化を作り上げたのです。

 私はこの二十年余り注文家具を作っています。当然多くの刃物を使います。例えば昭和30年代と比べると便利な電動工具がとても多くなりました。昔の職人さん達にはしかられそうなぐらい楽をしています。それでも仕上げにはかんなを使い、穴あけや細かい細工にはノミも使います。木に寸法を書く墨付けには白書きなどがなければ始まりません。例えばかんなです。鉋台に仕込まれて木を削る仕事をする金属部品をかんな身と言います。これは鍛造したハガネと地金を合体させたいわゆる「刃」です。刃の裏側を鏡のように平滑にする裏押し、研ぎ、木の台に合わせる仕込みなどの手順を踏んでようやく木を削ることが出来、手入れが精密である程薄く削れます。中でも裏押しは一般的にほとんど知られていない工程ですが、ここが刃物の命を作ります。道具鍛冶から出荷された段階では、刃裏はのこぎりのように荒いままです。このでこぼこを削って平面を作らなければ、表をいくら研いでも切れる刃となりません。

 さらに研ぎには砥石が必要です。刃物と相性の良い天然砥石で研いだ刃がやはり一番切れると私は感じていますが、ハガネと砥石にも相性があります。そうなると砥石も刃物の違いに合わせて何本か必要になります。

 たぐいまれな高級ハガネもいざ使うとなると、かくも「面倒」な手続き、あるいは準備が必要となります。これがいつしか家庭から大工道具が消えた理由のひとつと考えられます。しかし刃物の国に生きる私たちは今こそこの伝統ある「生き物」を「心の中に」復活させてはいかがでしょう。台所には包丁が何本かあります。物置にはさびたノミやかんなもあるかもしれません。一度じっくり眺め、そばにある小さな砥石で研いでみると、遥かな道のりをへてやってきたハガネが顔を出します。かつてたたらを踏んでいた人々の息づかいが聞こえてくるような気がしないでしょうか。(2010年1月)

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