2007/6/18

年金騒ぎの事

緑が押し寄せてきます。雑草も木々も巨大な津波のようにおおいかぶさってきます。こういうものに溺れるのなら溺れてみたいもの、なんてバカなことを思います。この生命力にふんわり手を取られています。つられて元気が出る季節です。

さて、アホらしい話でもちきりといったところでしょうか、この年金騒ぎは。アホらしいとは何ごとか、という向きもあるかもしれませんが、しかし考えてもみてください。役人はいつだって国民から集めた金は名目がなんであれ自分のものだとはき違える生きものですし、「国」というものだってその実体は極めて怪しい。そんなところに何十年も大金を預けて、いずれ何倍も受け取れるなんて幻想を信じる方もどうかしていますし、国民の最低限の生活を国民同士の相互扶助にしてしまう「国」の甘言は、見事な責任放棄でしかありません。どっちもどっちというところです。

「国」イコール「権力(暴力)」と言い換えることもできますが、中身は何かと考えてみると、大変曖昧なものとなります。最も分かりやすいのは国土ということになりますが、それを保証しているのは暴力、あるいは武器です。憲法も各種法律も結局はこの武器がその運用を保証しています。古来この武器を手にするものが、またはより強い武器を持つものが「国(領土)」をおさめてきました。ここです、治めてきたのです。国民はいつも「治められて」きましたから、「治められる」ことがもはや遺伝子に組み込まれている要素の一つとなっていることがあるかもしれません。年金をだまし取られた皆さんはこういう遺伝子を持っているのかもしれません。「治める」ものを疑わない、あるいは絶対視することがどれほど危険なことか、よくわかったのではないでしょうか。

「国がやっている」事など実はこの程度のおためごかしにすぎないことがはからずも露呈してしまったのは、「治められる」ことに慣れてしまった国民をなめ過ぎたことにつきます。「合法的」に自分達の懐をうるおす仕掛けを何重にも張り巡らし、その費用は全て国民からかすめ取った金、といってもいいようなことが当たり前になっていれば当然罪の意識や後ろめたさとは無縁です。「極めて優秀な」官僚が作る制度が、人口の動静さえ見通 さないようなお粗末なまま何十年も大手を振っているのは、哀しいかな国民が選ぶ政治家がそれに都合のよい法律を作ってきたからでしょう。

振り込め詐欺で大騒ぎし、北朝鮮の拉致で「国家犯罪」だと弾劾してきましたが、この「国家による年金詐欺」を裁く法律はありません。これが「法治国家」の正体です。振り込め詐欺の犯人が「返せばいいんだろう」とだまし取った金を返して無罪になるでしょうか。罪は罪なんですね。「国家」の罪はそうならないのです、返せばいいのです。こんなたわけた「国家というのも」を維持しているのは私たち国民ですが、それにしても人間の底なしの堕落を役人というものはかくも見事に見せてくれるものです。こちらがもう充分わかって白け切っていることにこの無能な役者どもは気がつきません。

 


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