2014/8/24

国民は結局、権力者の「えさ」

2014年早くもキノコ

 8月半ば過ぎ、廃材に現れたUFOのようなキノコです。ずいぶん早い発生ですが、今月に入ってからの雨続きを考えるとまあ不思議とも言えませんか。なんというキノコか結局分からないまま、一週間でくずれてしまいました。それにしても全国的に湿度が高く、激烈な雨も各地で降っています。広島では大規模な山崩れが起こって住宅地を襲い、50人以上の方が亡くなっています。被害の全貌は今に至るも分からないままです。北海道礼文島でも山崩れによる犠牲者が出ています。自然には逆らえません。

 今月初めに、泊原発がある積丹半島に行ってきました。積丹岬の先端部は、日本海から直接の風雨が吹き付ける場所であり、その凄まじさを彷彿とさせるものでした。ただこの季節の海と断崖が切り立つ海岸線の眺めは、観光客の欲望を満足させるに充分です。思わず何枚も写真を撮ってしまいました。

 帰路は岩内経由で苫小牧まで走ります。途中原発のある泊村にやってくると、国道を走っているだけなのに村の様子が妙にピカピカしているのが判りました。ああそうか、この村は原発のおかげて潤っているところなのだと改めて知らされました。他の町村と比べると街路灯から道路の白線に至るまでが新品然としています。さびたり崩れかけたりの衰退をうかがわわせるものは見当たりません。しかし、人間の姿がありません。居ないわけではないのに、午後3時過ぎの町中に人が行き来する気配はありませんでした。そのうえ、以前は原発敷地のすぐそばを通っていた国道は、今回はまったく近寄れず、町中を通るしかないように変更されていました。原発の姿を見ることはまったくできません。泊村へ近づく途中から建物の屋根が微かに見える程度です。

 福島の事故があってから「隠す」ようになったとしか思えません。海からは見ることが出来るのでしょうが、陸上からその様子を知ることはできません。何かが起きたとしても外部からすぐにそれを確認するのはむずかしい。自治体との安全協定などによってしか、たとえば事故の発生を知ることはできないのでしょう。不気味な存在です。

 積丹半島中部には古平町、神恵内村があります。半島の海側をめぐる一本道と、中部を横断するトーマル峠が道路のすべてです。半島全体に何人の住民が暮らしているのかは判りませんが、原発事故があった時にすみやかな避難ができるとは思えません。原発が在る泊村でさえ、半島付け根までほぼ10キロは一本道なのです。海からの避難も考えられますが、そういう訓練を行なっているかどうかを聞いたことはありません。これでは明らかに、事故があれば住民のみなさんは生存をあきらめて下さいということになっているとしか考えられません。最初から少なくとも半島住民の犠牲を前提に原発は稼働を始めています。

 代替燃料の輸入で北電は赤字です。しかし指摘されているように、原因は原発停止だけではなく「アベノミクス」による円安が追い討ちをかけています。値上げは容認せざるを得ません。しかし、原発再稼働をすれば生き返るので、それまでなんとか、という説明は受け入れることはできないのです。あくまで原発を可及的すみやかに廃止し、自然エネルギーなどに変換していくという将来像が必要です。

 繰り返しになりますが、原発は地元、および周辺住民の犠牲を前提に稼働します。そんな権利が原発にあるはずがありません。明らかに犯罪です。過去にも住民を犠牲にした事業は多々ありました。水俣病、イタイイタイ病が典型です。これらがただの犯罪でないのは、必ず国家が後押しをした点です。現在進行形として沖縄の米軍基地があります。これも国家の名の下に住民を犠牲にする。憲法違反は明白ですが、名ばかりの三権分立国家である日本の司法は、これを判断しません。「国家」の実態は、では何かということになります。いまだに私にはこれという定義はできませんが、結局、資本家ならびに自らの利益の為に彼らに奉仕する「政治屋」、更には実質的に権力を抱え込んでいる官僚群、が「国民」から税を吸い上げ、自分たちの欲望を満たしているという図が浮かんできます。主権者は国民であるという憲法の規定など、これら拝金、拝権主義者達には何の意味もない。食い物にするだけの、いわば「えさ」にすぎないのだという結論になります。これが私の考える「国家」の姿です。権力者達にいいように食い物にされるかわいそうな国民。

 少子化も高齢化も人口減少も、困るのは彼ら権力者だけです。かわいそうな国民はだれも困りません。支配者はただただ金と権力と対外的な比較優位が欲しくて、「危機感」をあおっています。勝手にやらせとけばいいのに、かわいそうな国民はこれがまたあっさりこれに踊らされてしまうんですね。よくよく考えてみれば、かわいそうな国民にとってそんなことは何の危機でもありません。生まれて死ぬまで、いつだってかわいそうに変わりはありませんから。

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