価値の座標

自信や誇り伝わる仕事

 

 コンタックスというフィルムカメラがあります。カールツァイスのレンズを使う高級ブランドです。その技術と描写に魅了された人はプロ、アマを問いません。残念ながらデジタルカメラの波に乗り切れず、2005年に生産から撤退しました。現在手に入るのは、ですから全て中古ということになります。

 昨年秋、私はひょんなことからこのブランドを一台手に入れました。玉石混淆のネットオークションとはいえ、驚くほど安い値段です。考えてみればデジタル全盛ですから、いくら高級ブランドでもフィルムカメラは面倒で金がかかります。使う人は激減していますし、過去に手に入れていた人たちも、持っていても使うことがないということで放出しているのでしょう。そのおかげで私は憧れのカメラを手に入れることが出来ました。若い時には手も足も出せなかったものです。ずっしりとくる心地よい重量感、1980年代の先進機能が詰まった精密機械、手にしているだけで感激しました。写真を撮ることなど忘れてしまいそうな美しさ、完成度です。このカメラの製造にかかわった人々の自信と誇り、熱い思いまでもが伝わってくるような気がします。

 が、複雑な思いにもかられます。かつての高級カメラを私が手に入れられたのは、需要が減って値が下がったといういわば経済原理のおかげです。今後このささやかな需要さえなくなり、コンタックスというカメラは経済的には無価値になります。ここに私はひっかかるのです。経済的には価値がなくなるかもしれないが、写真を撮る道具としてはなお充分な機能を持ち、寿命もデジタルカメラのはるか上をいく。

 さらにプリントのできばえは圧倒的にフィルムで撮ったほうだと私は感じますし、レタッチソフトを使えばいくらでも修正できるデジタル写真は、どうしてもごまかしに思えてしまいます。そんなものに頼らず、自分の技術と感覚でする一発勝負!にこそ写真を撮る喜びや醍醐味があるような気がします。多々異論があるのを承知で言えば、今のところコンタックスとカールツァイスの組み合わせがそのための最高の道具だと私には思えます。

 さて、経済的な価値とモノ自体が持つ価値という点から私の仕事を眺めてみると、どうも形勢はかんばしくありません。木材関連はもう長く斜陽とされていますし、このところの経済状況を見ても特注家具の注文が次々と来るとも思えません。

 ただ、私が注文で家具を作ろうと決めた訳が、お客さんにとって「自分だけのための特別な物」を提供することでしたから、そう考えると経済的な価値はもともとあまり重要ではなかったとも言えます。もちろんそこに金銭は絡みますが、「自分だけのための特別な物」という価値がまずお客さんに認められ受け入れられなければ、取引は成立しません。特別なものかどうか、が第一の価値ですから、それに続く値段の交渉はこれに比べると重大なことではなくなります。お決まりの処理事項です。

 次に、「未来の同業者に見られて恥ずかしくない仕事をする」という私自身の流儀という価値が加わります。「仕事」を納めたお宅にはその後訪れるであろう多くの人々の目があります。または何らかの事情で私のした仕事を手放さなければならぬこともあるかもしれません。

 どちらにしてもいつ目利きの目に留まり、「こんなおかしな仕事しやがって」とけなされるか判りません。そう思うとどんな仕事も手を抜けなくなります。そういう「未来のため」の価値が一方にあります。私がコンタックのカメラから受け取ったような自信や誇りや熱い思いを、私の仕事もいつか誰かに感じてもらえるだろうか、という密やかな願いが込められているのです。

 経済的にまったく考慮する必要のないであろう価値も、具体的な私という人間がいる以上確かに存在します。価値の座標というものがあるとして、そのどこかに小さな点となってあるはずです。これに比べると、小惑星探査機「はやぶさ」が証明した心揺さぶる人間くささはもっと大きな点に違いありません。伊達直人達キャラクター義賊の含羞も燦然としていることでしょう。効率や成果という価値は密集して存在を誇示しているようですが、この座標上では単なる one of them (いくつかのうちのひとつ) に過ぎないのです。(2011.2.1)

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