かんなを研ぐ

理想追求 ちりさえ邪魔に

 

 私は工房の片隅で刃物を研ぎます。刃物の種類はノミやかんななど10種類程、それぞれに寸法違いがあります。これらに合わせて砥石も変えます。研ぎは、刃先を新しく出す中研ぎ、切れ刃をつける仕上げ研ぎに分かれます。

 例えばかんではこうなります。

 まず中研ぎは刃裏全体に引っかかりがでるまで研ぎます。このひっかかりを刃返り(はがえり)と言います。古い刃先の残骸で、これで刃先が新しくなった事が判ります。中研ぎはここまでで次に仕上げ研ぎに入ります。

 崩れた研ぎ面を平らに修正するために小さな砥石の名倉で、ゆっくり表面をこする、なでる、ならす.......。砥石の微粒子がうっすら研ぎ汁となって出てきます。これを表面全体に広げてから、中研ぎの終わったかんな刃をあてます。刃返りが出ている刃裏を砥石の長さ方向にぴったりあて、砥石の長さいっぱいに前後させます。研ぎ汁がすぐに黒くなります。これを数回の後、今度は角度のついている表側(しのぎといいます)を数回研ぎます。この工程を2、3回繰り返すと刃返りが取れます。その後にいよいよ「切れ刃をつける」研ぎとなります。中研ぎと違い、ただ力を入れて研げばよいというわけにはいきません。刃物をうまく研ぎ汁にのせて、刃先が砥石から離れないように力を加減しながら角度を保つのです。

 表を30回研いだら裏をその半分の回数研ぎ、途中研ぎ汁が乾かないように水をやりながら徐々に回数を減らしていきます。

 ここまで来たら一度刃を水で洗い、刃先を光にかざしてみます。透明な線が見えれば終了、白い線ならやり直しです。ここまで30分で終わることもあれば1時間のこともあります。

 私の研ぎは以上ですが、これはいわば最低限の研ぎです。かつての達人はけた外れです。明治から昭和にかけて主に関西で活躍した名人大工がいました。現在の千葉県出身で名を江戸熊こと加藤熊次郎と言います。江戸弁をまくしたてる熊さんで江戸熊です。この江戸熊が昭和2年(1927年)ごろに、あるかんなを研いだ話が伝えられています。親しくしていた名刃物鍛冶(かじ)、千代鶴是秀(ちよづるこれひで、1874〜1957)の息子、太郎が初めて作ったかんな、「初契(はつちぎり)」を研いだ時のエピソードです。江戸熊はそのかんなを預かってすぐに河原へ出かけ研ぎ上げようとしましたがかないませんでした。地金(かんなの鋼を支える柔らかい鉄の部分)にどうしてもうっすらした筋が浮かび上がるのだそうです。実用精度はとっくに越えていますが、名工の鍛えた刃物にふさわしい研ぎではありませんでした。ここで何時間を費やしたのか判りませんが、仕方なく二度目はその川の上流へと場所を変えて行なってみましたが、やはりうまくいきません。そこでまた上流へと場所を変える、そんなことを何度か繰り返しているうちに江戸熊はとうとう川の源流のようなところまでたどり着いてしまったそうです。川幅はまたげる程狭くなり、周りはうっそうとしていました。そこでようやく「初契」の研ぎは成就されたということです。

 おそらく湿度が高く、空気中を舞うごみやホコリが極端に少なかったからだと考えられています。水も澄んでいたことでしょう。研ぎを理想に近づけるとは、研ぎ面が滑らかに磨かれることですから、より微細なちりが邪魔になってゆきます。

 研ぎ上がった「初契」はある道具商で保管されていましたが、戦災で焼けだされ、江戸熊の研ぎは失われました。ただ、それ以前に江戸熊の研いだノミを目にした人が、背筋が冷たくなる程美しい研ぎがなされていたと伝えています。(2010年6月)

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