楓舎小屋便り

2018/6/21

越後屋たちの「禿げ山」

186maplenut

 毎年のことで慣れているとはいえ、6月後半のこの寒さはなんだか異様です。暖房がなければ夜は寒く、朝の最低気温はこの2週間ずっと7〜8℃で、最高気温は10〜15℃のままです。今度の土曜あたりから最高気温は20度を超えそうですが、湿度もぐっと高まります。「アトピーのお肌」にはつらい季節になります。

 さて小学校で「道徳」科目を始めさせた安倍政権です。次年度からは中学校でも始めるそうです。あまりにたちの悪い冗談のようですが、そうではないところがこの政権の救いようのないところです。「いじめ」をなくすのが直接の立法趣旨らしいですが、子供は親を映す鏡ですからむしろ「道徳教育」をしなければならないのは親のはずです。子供にいくら学校で教えても「道徳」などに無縁の親は必ず一定数残るのですから、当然いじめはなくなりません。そしてまたなぜそのような親はなくならないのかといえば、生まれながらに質の悪い人間か、あるいは社会の荒波にもまれ生きるのに精一杯のクラスの人々か、あるいはその親も道徳なんかを一顧だにしなかった人々が存在するからです。

 わたしは「いじめ」をうんぬんするよりも、安倍政権は自らの姿勢について改めて襟を正すべきなのです。そのことは残念ながら期待する方が無理なのですが、「道徳」に関しては見過ごせない重大な欠陥をこの政権はかかえています。「セクハラ罪」という犯罪はないとうそぶいてセクハラの犯罪性を理解できない大臣がいるうえ、その大臣を指名した阿部首相もまたこの大臣を擁護するというきわめて悪質な権力維持を図っています。政治は自分たちのためにするもの、権力も金も自分たちのために使うもの、国民は黙っていうことをきかせるもの、こう信じているとしか思えないこの政権のありさまを見ていると、司馬遼太郎が昭和十年以後の軍人為政者たちを「政治的発狂者集団」あるいは「集団的政治発狂者組合」(歴史と視点/新潮文庫)と呼んでいることと重なってきてしまいます。唯一の国内戦場となった沖縄で『軍による住民虐殺』が起きたのは、この発狂者集団が「軍の任務に邪魔なものは殺せ!」という命令を下したからでした。守るべき国民のために戦っているのに、その国民よりも軍の論理を優先させるという倒立した思想は、そのまま現代にも現れています。同じ沖縄で日本軍は米軍に替わり、「日米安保」という旗のもと、守られるべき日本国民が米兵犯罪の犠牲になってきました。1952〜2010年までの米軍人および軍属による犯罪の日本人犠牲者は1088人にのぼります(2011/9/8赤旗)。「戦後、戦争による犠牲者は一人もいない」と政府は強弁してきましたが、ではこの数字は何なのか?ただの犯罪犠牲者数なのか?「日本を守るための米軍」がいなければこれらの人たちは犠牲にならずにすんだということを、どう説明するのか?本音は「多少の犠牲は仕方がない」であろう。現憲法が言う基本的人権も、文化的な最低の生活も保障されない現実を放置しているのは、憲法違反以外の何だというのか?

 1972年の沖縄返還後46年間、1952年の講和条約締結・独立から66年間、日本政府は「日米安保条約」という不平等条約解消・改正に全く手を付けていません。ひたすらアメリカにご無理後もっともと揉み手をするばかりか、米軍へ不可解な大金を使ってきました。それが安倍政権になってから露骨に加速しています。私はこの政権を見ていて、司馬遼太郎の「政治的発狂集団」ならぬ「政治的越後屋たち」のような気がしています。あの「越後屋」が団体で政治を牛耳っている、と考えるのは勇気がいります。しかしだからこそ「セクハラ罪はない」という発言も出てきますし、首相の仲間への優遇措置や形容詞過多の意味不明答弁もあると考えられす。政治までもやる越後屋が何人もいるなんて、世にもおぞましい図ですが、当然彼らは国会が立法府であることを軽んじ、でたらめにこれを使います。アメリカへの手みやげとしての戦争法案や秘密保護法他を成立させ、はたまたアメリカに言われて賭博での成長までもくろんでいます。こんな者たちに「政治は道徳である」ことなど思いもよらないことでしょう。道徳とは、国民を牛馬のごとくおとなしく言うことを聞かせるための仕掛けである、この程度のことしか考えていないでしょう。まして自らの言動を検証するなどという殊勝なことは始めから「論外」なのです。自分たちは生まれながら支配者なんですから誰からも何事も指弾されない存在なのです。それが「日本を取り戻す」ことであり「美しい日本」のすがたなのです。

 いやはやこんな越後屋集団をよしとする有権者もまた、準越後屋か越後屋応援団に違いありません。見栄を張って、世論調査では「内閣はあまり支持しない」が「自民党は支持する」なんてごまかしていますが、本質的に越後屋なんです。越後屋たちの禿げ山での宴をいつまでも放っておいていい訳がありません。有権者のわずか20%ていどしかいないはずですが、こんなことを許しているのは残り80%の有権者なのです。最低投票率の規定がない以上、どんな投票率でもその過半数を制すれば勝てるのが今の選挙制度ですから、やはり選挙にはきちんと意思表示の投票をしなければなりません。「どうせ誰がやってもかわらない」というのは、以前も言及しましたが奴隷の合理性に過ぎません。奴隷をやめましょう!人間になりましょう!

 

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