楓舎小屋便り

 

2023/10/29

やはり「宗教はアヘン」なのかもしれない。

2023年の紅葉

 気候変動のせいで日本の四季も狂ってきているそうですが、確かに紅葉の時期が遅くなったような気がします。とはいえ短くなった秋なのかも知れませんが、美しい紅葉は健在です。

 パレスチナの悲劇がまた始まりました。これは悲劇なのです。政治的にはイギリスの「三枚舌外交 」が直接の原因でしょうが、そこへ宗教というある種の「狂気 」が加わって、もはやなんぴとにも解決は不可能と考えられます。わたしはロシアのウクライナ侵略にも同様の絶望を感じています。かたやイスラエルは「ここは神に約束された土地 」なのだから、パレスチナ人などゴミのように掃いて捨てるだけの存在であるとばかりに、あらゆる非人道性を躊躇なく加え、かたや「大ロシア帝国 」の夢よもう一度と無法の限りです。ロシアの場合はそれまでに陰湿なアメリカの挑発があったにせよ、少なくともウクライナのひとびとには「そんな大国同士のつばぜり合い 」などなんの関係もないことです。こうしていつも権力者の選択の犠牲になるのは、弱い老人、子供、女性ばかりとなります。

 今回の悲劇には第三の要素もあります。もはやかつてのような大きな利益を得る機会を失っている資本主義というシステムの、最後の利益獲得手段が戦争だからなのです。その規模は問わず、とにかく兵器を消費し環境を破壊することがその後の仕事をつくるのであり、しかもその戦争は自国ではないどこかでやって欲しいと言う、なんというかあまりに手前勝手な論理なのです。そんな理由で世界中の紛争・戦争が起こされ、一部の国、一部の者が巨利を得る。こんな世界にだれがした!といいたくなりますが、いまのところ自分の都合の良いように世界をコントロールしようとする「覇権国家 」とそのライバルの争いに巻き添えを食っている、というのが世界の姿ではないでしょうか。しかし各国の国民も被害者づらしているだけで責任を逃れられるものではありません。自分たちの政府が何をしているのか、何をしようとしているのかを常に監視し、こんな世界の姿にした責任の一端は自分たちにもあるという自覚が必要ではないでしょうか。

 138億年の宇宙の歴史の果てに、この地球で人間が果てしない殺し合いをしたあげく、地球という星が崩壊しないまでも「そして誰もいなくなった 」星になるのも、一つの歴史として宇宙の彼方に飲み込まれるのかもしれません。その原因が宗教であった、ということになれば宗教にまつわるあらゆる人もものも永遠の悔恨となります。宗教はやはり「アヘン 」なのかもしれません。手に負えない狂気としかいえません。宗教者も信者も、殺し合いをしてまで守るべき何物があるのか考える時ではないでしょうか?

2023/10/5

「衰退するニッポン」は不幸なのか?

2023年の萩

 ずいぶんきれいに萩が咲きました。なぜかこれまで何と勘違いしていたのか、萩の花は黄色と思っていました。妻に指摘されて今さらこの花の美しさに見とれています。すっかり涼しくなったこの季節、もうすぐ雪も降ります。忘れずに咲いてくれる花に救われます(と思うほどそんなに不幸だとは感じていませんが )。

 円の対ドル相場が150円をこえて、世は大騒動です。何をそんなに大騒ぎするのかと不思議です。1974年に私が初めて海外に行った時、1ドルに300円払っていました。それと較べれば150円なんて「そりゃあえらいいいじゃないか! 」と考えてしまいます。ニュース番組はインバウンド客が盛んに発する「ニッポンの物価、やすいから助かります!」という声や、海外の物価の高さをこれでもかと報じて、まるで世も末という有様です。あー、ニッポンて安い国になったんだーと感じるよう誘導しています。

 これはどこかの誰かの意図が働いているのだろうと受け止めています。なぜか。日本国民はそれで奈落の底へ叩き込まれたのか?世をはかなんで自殺者が激増したのか?何をそんなに悲観的になっているんだ? 私はそう感じています。私は社会的には極貧老人(年収およそ120万円)です。確かに物価は上がりつづけていますから日々の出費は厳しいです。それでもニッポンが衰退しているなどと感じることはありません。毎日の食事に事欠くことはありませんし、酒も煙草もやめなければならないほどに困窮してもいません(このさきはわかりませんが)し、冬に焚く薪用の木材も依然購入できて、それを玉切って割って薪にする時間もあります。

 話は簡単です。日本が「先進国ではなくなる 」ことを恐れる政治家・官僚や一部の富裕層が、くだらぬ体面をあくまで保ちたいがために、危機感をあおっているのです。かといって自分たちがそのために何か有効な策を講じることもできない。やることと言えば産業の根本を支える教育費を減らしたり、学者をいじめたり、盲滅法のデジタル化だったりと、頓珍漢などと言っていられない犯罪的とも言える「政策」を繰り出しています。こんな頭の悪い政治家たちの欲望実現のために食いものにされる国民こそ、いい面の皮でしょう。しかしいつまでもこれを許しているのも国民ですから、もはや救いようはありません。そのうちこの馬鹿な国民の中から「日本の衰退を止めよう!」なんて叫びだすやつがあらわれるのでしょう。

 すべての生物と同様、国家だって生者必滅は逃れられないのです。いつまでも昭和30年代の高度経済成長は続かなかったし、80年代のバブルだってはじけました。世界の歴史を眺めれば生まれて滅んだ国家などいくらでもあります。滅びこそしないまでも、大きな波をかぶって復活してきた中国の例もあります。日本は幸い周りを海に囲まれていることで簡単に責め滅ぼされることから逃れてきましたが、この先どんなきっかけでどのような変化が起こるのかわかりませんし、ほろんでなくなることだって皆無ではありません。東日本大震災のような天変地異がいくつもつづけて起こるのかもしれませんし、政策を大変換して世界中から移民を受け入れて、多民族国家になるのかもしれません。たとえそうなったとしても、自分は食えるのかどうか、ひいては国民は餓えることなく生きていけるのかどうか、国家の役割はそれしかないのです。逆に、生きていければ「先進国でいるプライド」など何ほどの意味もありません。人類は長く餓えないために苦闘してきたのですから。馬鹿な政治家や資本かたちの目先の欲望実現のために踊らされるのは終わりにしたいものです。

 政治家が、愚か者・バカもの・たわけの代名詞とはいえ、少なくとも国家の運営を託したものたちです。国民はよくよく吟味して選ぶのが最低の義務でしょう。そろそろ目覚める時期ではないでしょうか?

>> 過去の楓舎小屋便り