楓舎小屋便り

2021/12/29

寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ。

 今年の衆議院選挙で若者の投票率が極端に低かった(18歳-51.1%、19歳-35.0%)ことについて、内田樹は自らのブログ(tatsuru.com 2021/11/08)で次のように分析しています。「受験勉強で刷り込まれた『正解を知らない時は、誤答するよりは沈黙していた方がまし』という経験則を適用する。」「『選挙ではだれに投票すれば正しいか』という『正解』が事前にはあたえられていない。」からではないかというものです。問いと正解をセットにして記憶する受験教育の影響ではないかと。だから「正解」を知らない選挙では投票しないことが「まし」であるということになるのだと。

 もしそうだとすればそれはさらに重大な問題をはらんでいると私は考えます。何事にも正解を求め、わからないときには沈黙する姿勢は、自ら何かを探求していく自主性が失われてしまいます。「個性重視の教育」とは名ばかりのお題目で、実態は「正解」でわずかな疑問も躊躇も踏みつぶしているのでしょう。もちろんこれらの若者たちもこのあと大学進学や社会人になって、世の中正解ばかりではないことを学んでいくことになるでしょうが、選挙や政治についてはやはり学校・家庭での話し合いをさらに増やす必要を感じます。「政治の話はださい、めんどうくさい」風潮を何らかの方法で払いのける必要があります。たとえば、「棄権すると罰金」とか「投票すると魅力的な景品をもらえる」など、悲しいけれどもある時期損な手段で投票に向かわせてもいいのではないかと思います。

 しかし私はそれだけではないと考えています。近頃よくいわれた「空気を読む 」癖が習い性になってしまい、選挙そのものに触れない、たとえ何かの折にその話題になったときでさえせいぜいどの政党名を知っているか、で終わることでしょう。それ以上は突っ込まないで終わらせるのです。これは若い人たちの間だけで起こることではなく、どの世代でも行われることです。これを日本では古くから「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」といいますね。究極の保身の知恵です。メディアで盛んに「自民・公明で過半数」とやら「立憲予想外に伸びず」とやられているのを見聞きすれば、どんな世代でも「おおそうか、無駄な抵抗しても死に票になるだけか」と勝ちそうな政党に投票しますし、少しでも変化を希望していた人々も「今さら投票しても無駄だ」となって棄権するでしょう。周りはどうあれ自分はこうするのだ、というような信念を持つものはこうしていつまでも少数派のままとなるのです。イデオロギーはもとよりどんな理念や哲学もこの長いものに巻かれる人々には届かず、果てはどんな悪事を働いた政治家でさえ多くの人が支持するのなら自分も、という行動をとります。

 いまだ成熟しない「近代市民 」を期待するのは間違いなのかもしれません。物事の原理、根本を考えず、目先の人参だけを追いかけるのが日本人の遺伝子なのかもしれません。私は決して原理主義者ではありません。しかし日本という国がこれほど悲しく堕落した姿を見ると、未来に希望を抱くことができません。日本の多数派はやはり「いつまでも解放されたくない奴隷 」なのでしょうか。来る年の参議院選挙でもういちど確認しようと思います。

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