楓舎小屋便り

2018/11/29

昭和史あれこれ

2018年秋の初雪

 遅い雪が降りました。つい1週間前まで、なんと暖かな秋だろう、まさかこのまま冬に突入なんてことにはならないだろうとは思いながらも、こんな具合ならいいがなあと一抹の希望も持っていたのでした。

2018年晩秋の様子

しかし季節はそんなヤワな願望は容赦なく吹き飛ばし、きっぱりと冬を連れてきたのでした。気温も一気に下がり油断していた体をあざ笑います。いやこうなれば私だって覚悟を決めて冬仕様の心身に変わります。こういう強制力は嫌いではありません。

  さてここしばらく昭和史に関する本を何冊か読みました。白井聡「国体論ー菊と星条旗」、保坂正康「昭和史 七つの謎 part2」、「昭和の怪物 七つの謎」他。

 白井聡について、「国体論」そのものにも教えられることが多々あるのですが、本筋とは別に妙なところでさらに白井聡に強い共感を覚えたのでした。2016年8月8日の天皇の「お言葉」を白井聡は次のように受け止めていました。「・・・あの常のごとく穏やかな姿には、同時に烈しさが滲み出ていたからである。それは、闘う人の烈しさだ。『この人は、何かと闘っており、その戦いには義がある』ーーそう確信したとき、不条理と闘うすべての人に対して筆者が懐く敬意から、黙って通り過ぎることはできないと感じた。ならば、筆者がそこに立ち止まってできることは、その「何か」を能う限り明確に提示することであった。」私が驚いたのは、「・・・その戦いには義がある。」というところでした。冷静沈着かつ明晰な理論家だとばかり思い込んでいたところに「義がある」ですから、この浪花節とも言うべき人間くささに家族に対するような親近感を持ったのです。ああそうか、この人の怒りはこの辺りが原点なんだと思うと、自分とそうかわらないような気がしてきます。そういう「健全な」怒りを持つことが、人間らしいあり方ではないかと確信したのです。あの天皇の言葉を私自身は白井聡のようには受け止めることができませんでしたが、すんなり受け流すことはできないような違和感は持ちました。それをそれこそ明確に説明されて、すとんと落ちたのは予想外の収穫でした。そしてでは私にできることは何かと言えば、悔しいですがここにこうして白井聡という思想家のことを紹介することだけなのです。

 ところで白井聡はなぜそのように受け止めたのかと言えば、次のように要約できそうです。新憲法を中核とする戦後民主主義は、象徴天皇制と表裏一体のものとして生まれました。日本国憲法第一条には天皇規定が以下のように記されています。「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」天皇は「居ること」だけでは「日本国の象徴」でしかなく、「国民統合の象徴」にはなっていない。今上天皇は「動き、祈ること」によって初めて「国民統合の象徴」となりうるのだととらえました。ここでいう「動く」とは今上天皇が即位以来全国各地に出向く旅、特に戦争という惨禍の地への旅、同時に全国の災害被災地への慰問の旅、これらに基づいた祈りを行って初めて「国民統合の象徴」となりうるのだという先の「お言葉」を、白井聡は重大な危機の認識と受け止めたのでした。なぜかといえば、戦後民主主義とのセットで生まれた象徴天皇制は、今深刻な危機にさらされているのであり、ということはつまり民主主義も同様の危機にあるということです。天皇の「お言葉」はこの危機を打開する手だてを模索しなければならないとの呼び掛である、と白井聡は理解したのです。これは重大な政治的意味合いを持ち、憲法に抵触する解釈もできるという危険な表明でした。しかし白井聡は、こんな危険を冒してまで「お言葉」を発表せざるを得なかった天皇に「闘う人」としての共感と敬意をおぼえたのだということです。

 繰り返しになりますが、わたしは白井聡という人のかくも鋭敏な感受性とそれに基づいた論の展開にただただ驚嘆するばかりです。また、今上天皇の「お言葉」を受け止めきれなかった自分の鈍重さをかみしめています。天皇の孤独な思索と「象徴」への真摯な取り組みは、現在の危機打開への呼びかけであることにどのように応えるべきなのか、さらに考えなければななりません。

 もうひとつ。

 保坂正康「昭和の怪物 七つの謎」で取り上げられている渡辺和子と、今は亡き作家三浦綾子の共通点が見えたような気がしたことです。渡辺和子は敬虔なクリスチャンとして知られ、学校法人ノートルダム清心女学園理事長を務め、2016年12月30日、満89歳で膵臓がんのた学園内の修道院で亡くなりました。晩年に上梓した『置かれた場所で咲きなさい』はベストセラーとなっています。ご存知の方も多いと思いますが、この人は9歳の時2・26事件で父親の殺害現場を目撃するという重い経験をしました。その後クリスチャンとなり戦後は宗教家として、また教育者として生きた人です。詳細は省きますが、保坂正康が行ったインタビューの中で「2・26事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」と断言したのだそうです。それを聞いて保坂正康は「そこに偽善も虚飾も、そしていかなる麗句も排した戦いの本質(それは歴史的な証言ということになるのだろうが)が込められているように思った。」と記しています。聖人だとばかり思っていた者の中に、時間でさえ消すことのできない人間の怒りがあるのだという発見に、ああこの人でさえ消せない感情を持って生きてきたのか、というある種の安心があったのではないでしょうか。

 このことと関連しますが、学生時代以来久しぶりに読んだ三浦綾子の「塩狩峠」最後のシーン、ふじ子が婚約者の死んだ場所でレールに突っ伏し号泣します。ふじ子も大変敬虔なクリスチャンです。それでもなお納得できない悲しみを爆発させたのでした。図らずも、宗教でも救いきれない人間の感情がある、これを渡辺和子の言葉と三浦綾子の小説から知ったのでした。学生時代に読んだ三浦綾子は、布教者の文章としてしか受け止められませんでしたが、今回読んでみて「ああやはり三浦綾子は文学者だったのだ」と確認できたのは、私自身の不明を挽回できたという意味でも感動的でした。

 

2018/10/10

米軍基地という人災

昔作ったスツール

 最近20年前に作ったスツールに出会いました。お似合いの靴下をはかされてフローリングを保護し、何よりも壊れたり狂ったりしないで実用に供している様子がうれしく、自分の仕事が愛され続けていることにほっとしたのでした。「簡単に捨てられないもの、愛されるもの」を作ろうと奮闘してきて「よかった、、、」とつくづく思いました。

 さて、季節はすっかり秋になりました。そろそろ寒さが気になってきていますが、この夏全国を襲った台風や地震の自然災害は、今なおそのきず跡を残しています。停電、洪水、強風、土砂崩れ。人間の非力を思い知らされます。これから冬に向かって被災した人たちの生活が一刻も早く復旧することを願ってやみません。ただこれら自然の為す業に対して、いい意味で私たちは素直に受け入れあきらめるのではないでしょうか?どんなに呪っても怒ってもだれのせいでもないのですから。もちろん100%自然災害とは言えないこともあります。たとえば地震で発生する液状化によって地盤が大きく暴れ、それによって引き起こされた住宅や道路の倒壊や損壊、傾きなど、人間の行為が二次的な原因になることもたくさんあります。福島の原発事故は典型と言えます。私たちはこの人災の部分については厳しい対応をしています、沖縄の「米軍基地」という人災をのぞいては。

 国土のわずか0.6%の沖縄に、全国の米軍基地の70%余りが集中していることが何を意味するかお分かりでしょうか。2010年3月の防衛省発表によれば、沖縄県に駐留する米軍兵士は26,400人。これに家族や軍属の関係者を含めると2013年3月31日時点で約5万人(防衛賞、沖縄県の資料)です。中程度の町と同じ規模の軍人および関係者が駐留しているのです。当然日常的な諸々の問題が発生してきます。行政的行為の大部分は軍が取り仕切っているとしても、犯罪の発生は地元沖縄県民を巻き込みます。沖縄が日本へ返還された1972年以降、2015年末までに発生した凶悪犯罪は574件、741人が摘発されました(沖縄県警発表)。殺人、強盗、放火、強姦、なかでも1995年の3米兵による少女暴行事件は忘れられません。

 また返還後2016末年までに米軍用機関連の事故は709件、墜落事故は47件(沖縄県の統計)。これら米軍用機関連の事故につき日本の警察始めいっさいの機関の介入・調査ができません。これは軍用機事故だけではなく、ほかの刑事事件のほぼすべてについても日本の警察は逮捕権も裁判権もありません。つまり、米軍は日本国内では治外法権なのです。独立国のはずの日本国内でこの状態が沖縄返還後も続いています。さらに沖縄では、日常的な軍用機の騒音被害があります。落下物による事故も多発しています。近い例で言えば、普天間基地のそばにある小学校に戦闘機の部品が落下し、その小学校ではグラウンドが使えなくなっています。日本の他の民間飛行場なら、夜間の飛行訓練を規制しているのに沖縄では事実上野放しです。いったい沖縄でゆっくり眠ることができる時間というものがあるのだろうかと疑わざるを得ません。昼夜を問わない騒音が人間だけではなく牛などの家畜にも甚大な影響を及ぼしています。米軍は沖縄を占領し続けているのです。

 台風も地震も75年間継続することなどありません。沖縄駐留の米軍による「健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法第25条)」侵害は、自然災害を遥かに超える意図的な人災、もっと言えば犯罪なのです。沖縄の人々は太平洋戦争に敗戦して以来、米軍に土地を奪われ、米軍関係者の犯罪におびえ、米軍機事故を恐れ、日々軍用機の騒音に悩まされる、この人災を日本政府は1952年の講和条約締結後以来放置し続けているのです。沖縄の人々は憲法の保障する生活を奪われ、人災に対して何の救助もされず、ただ耐えるばかりの生活を強いられています。いったいこれは何事でしょう?その上今普天間基地を辺野古に新基地を作って移転させようとしています。先日の沖縄県知事選挙では辺野古基地に反対する知事が当選しました。昨年来いくつかの市長選挙では現政権寄りの市長が誕生していますが、こと沖縄県全体の意思としてはあくまで辺野古の基地には反対であるということです。この意思に対し政府は「沖縄の人々の心に寄り添い、、、」なんてきれいごとだけ並べ、基地造成は「粛々」と進めることは変えようとはしていません。これが安倍政権が声高にいいつのる「地方創世」だとでもいうのでしょうか?もしそうだというのなら、これ以上の罪深さはありません。同時に、普天間基地が「世界一危険な飛行場」だから移転させるのだ、という論理は、日本の0.6%の面積に駐留米軍の70%余りが集中する沖縄全体の危険はそれで減る訳ではない、ということを隠す幼稚なすりかえなのです。日米安保条約という根本を考え直さなければ、「寄り添う」ことになどならないことを、野党議員はいよいよ持ち出し議論すべき時が来ています。当然私たち国民も皆それを考えなければなりません。そうでなければ沖縄の人災を放置する政府の片棒を担ぎ続けてしまうのです。

 わたしはつくづく自民党政権を継続させる有権者の人格を疑うのです。「自民党以外に政権担当能力のある政党はない」としきりに言われますが、この言説の持つ欺瞞には気がつかない振りをしています。安倍政権がこの5年間やってきたような政権運営ができない、ということは、他の政党では当然異なる路線で政権を運営するのですから、つまりは安倍政権のような憲法無視のでたらめかつ非民主的手法の政権がよろしいといっているのです。自民党議員を当選させる有権者に問いたい。かつてヒトラーは「民主的に」誕生し悪魔の所行を為しました。歴史が教えるのは、手続きさえよければ問題ないということではなく、さらにその政権のやろうとしていることにまで目を光らせなければならないということなのです。この姿勢が、ヒトラーという歴史を知っている私たちに要求されていることではないでしょうか?それとも、またヒトラーを誕生させ盲従したかつてのドイツ国民と同じ轍を踏むのでしょうか?

 

2018/8/18

カブトムシ

2018年8月 我が家に現れたカブトムシ

 この夏も全国的に異常気象と言われ、北海道以外では命の危険があるほどの高温が続いています。北海道はそういう高温にはなりませんが、7月は異常に長引く雨に悩まされました。しかし全体としては確実に温暖化なのだと思います。その証拠といっては大げさですが、我が家になんとついにカブトムシが現れました。まずメスからというのがまぎらわしいですが、写真のようなメス同士の縄張り争いで初見参です。どうもこの切り株の地中に巣を作っているようです。いずれオスにもお目見えすることと思います。うーむ、温暖化侮るべからずです。今後はクワガタ同様私に取っても普通の昆虫になるのでしょう。新たな生き物にまずは歓迎の意を表しておきます。

 さて警備のアルバイトを始めて4ヶ月が経ちました。何十年ぶりの賃労働で、慣れるのに必死でした。近頃ではあまり緊張もせずにこなせるようになっています。4日に一回の夜勤はしかしやはり体にはこたえます。明けの日は欲張らずにだらだらしていれば回復しますが、ちょっと何かしようとすると頭も体も集中できず結局何の結果も出ません。この年相応の反応かなと思います。

 木工の仕事もやめてはいないのですが、なんだかうまくできていて(?)まともな注文はありません。せいぜい額縁やら自家用のあれこれをやる程度できています。自分ではもっと未練がましい気持ちになるのかと思っていましたが、まったくそういうことがありません。たまに入る仕事場にクモの巣が増えているのを見ると、人間のいない場所はこのように荒廃していくのだというのを見せつけられているようで、少しつらいです。とはいえ、よくよく考えてみればろくな才能もなくただただ木工が好きだというだけで32年間続けてはきたが、ここへきていよいよその能力も使い果たしたというところでしょう。多くのお客さんに仕事の機会をいただいたことは、感謝を申し上げるばかりです。今後はなんとか自分の能力の搾りかすでかすかに残るデザインを形にできればと考えています。

 

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