楓舎小屋便り

 

2022/1/31

時代は代わる。

2023年1月 遠く開拓者の小屋が朽ちる

 70数年前にこの地区に入植した開拓者はまずは雨露しのぐ掘っ建て小屋を建てて何年かを食いつなぎ、その後「家 」といえるものを建てたのでした。今の目ではあまりに粗末な安普請ではあっても、その人たちにとってはようやく安住の場所を手にした喜びにあふれていたことでしょう。しかしその後厳しい気候のため思うような作物の収穫がなく、次々に離農していったそうです。住人を失った家は荒れ果て、朽ち果てます。その寸前のこの家は、かつてここに人が住んでいたことをひっそりと告げています。実は私たち家族は40年余り前、開拓者が建てたこの家と同じような家に引っ越しそのまま今も住み続けています。温暖化でずいぶん自然条件は変わりましたが、開拓者たちの苦労と夢と挫折の一端を体験し続けています。

 「義経 」(司馬遼太郎 -文春文庫)を読みました。この歳になるまで童謡の文句程度の知識しかなかったことをとても残念に思います。鞍馬山の牛若丸がなぜ人々の間で偶像化し、なぜ全国に義経伝説が産まれたのか、義経の短い一生の浮沈を知るにつけその謎が少しは解けたような気がしています。酒漬けにされた義経の首が鎌倉へ運ばれてきたときに頼朝が言った「悪は、ほろんだ」ということばを取り上げて、司馬遼太郎は最期にこう記して物語を閉じています。「なるほど、国家の機能をあげての弾劾と追跡を受けた義経は、悪と言えば類のない悪であるかもしれなかった。が、『悪 』という言葉を頼朝の口からきいたひとびとも、それを漏れ聞いた世間の者も、また京の廷臣たちも、ーーー悪とは、なんだろう。
ということを一様に考えこまざるをえなかった。後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。 」

 義経は、あくまで政治という権力争いの現実の犠牲者ではなかっただろうか、と司馬遼太郎は言っているように思います。政治というものが愚にもつかぬ腹の読み合いで権力の帰趨が決し、その後いくばくかの期間果実によだれをたらす。その合い間合い間に伝説や挿話が産まれます。那須与一の扇ノ的も、安徳帝を抱いて入水する二位の尼、華麗な十二単の建礼門院(平徳子)の入水なども、この政治の駆け引きとはあたかも無縁の物語のように語られることとなりました。そうでもしなければ殺伐とした人間同士の殺し合いから救われることができないと感じたひとびとの一つの知恵なのかもしれません。しかしそれらは後世のあとづけの美化なのであり、時には歴史の本筋を見あやませることもあるでしょう。私なんかはその典型的な愚か者です。

 歴史の本筋とは何でしょう。やはりこの国を支配する者たちの功罪ということになります。十二世紀後半に生きた義経の時代、たとえばそれまで曲がりなりにも続いていた律令制が一気に崩壊し、武家の時代へと大転換しました。それまですべての土地は国家の所有だったのですから、これは天地のひっくり返るほどの大転換だったのです。土地の公有から私有へ、経済制度に「競争 」という意味が強く込められました。このあと、近代までこの制度はより洗練され充実していくことになります。大前提が「私有 」という思想でしょう。日本昔話によく登場する「欲深な老人や殿様 」の背景にこんなことがあったと考えられます。

 時代は代わります。しかし時代をつくるのは人間ですから、人間の欲望が変わったから時代が変わったということになります。これを進化という風に私は考えませんが、時間の流れとともに人間の欲望も変わります。ロシアのプーチンについてはあまり変わったとはいえませんが‥‥。ともあれ時代は、人間の欲望とともに確実に変わっていきます。たとえば、国がなくなるのは絶対避けなければならない、地球を破滅させてはいけない、などという信仰なのか強迫観念なのか判りませんが、「そんなもの 」だってどうなっていくのかだれにも判りません。ロシアとウクライナの戦争がいつしかアメリカとロシアの戦争になり、最後は核を使うことになるのかもしれません。人間の欲次第です。

 話はそれてしまいましたが、「義経 」を読んでそんなことが思いうかびました。

 

 

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