楓舎小屋便り

2019/5/27

改憲マニアに日本の名誉革命を!

2019年5月末 新緑

 5月に入る早々に花の季節が始まりました。こぶし、さくら、うめ、すもも、なし、と次々に訪れる花の競演に興奮していました。平年よりも一週間から十日早いものでした。そうこうしているうちに木々も草花も新緑に変わり、美しく装いました。山もすっかり緑となりました。炎天下に吐き出しているであろう酸素を深々と吸い込むと、体の中も新緑色になるようです。

 安倍首相が今国会会期中の憲法改正発議を目論んでいるようです。憲法違反を繰り返す(実質的に臨時国会を開催しなかった、国会議員の憲法尊重擁護義務違反など)この政権が、何を目指して、あるいは何が理由で憲法を改正しなければならないのかについてほとんど明らかにしていません。今更言うのもバカバカしいことですが、ただただ自分の権力を誇示したいだけとしか考えられません。これまでのこの政権の言動を見ている有権者が、果たして国民投票で望んでいるような結果をもたらしてくれるとでも考えているのでしょうか。そこまで国民はバカだとでも思っているのでしょうか。麻生財務大臣兼副総理のように頭から国民をなめている態度の大臣もいますが、概ねこの政権の性格を表していると私は思います。

 小林節・慶応大名誉教授が大変面白いことを述べています(毎日新聞 2019/5/10)。若い頃、岸信介元首相が設立した「自主憲法制定国民会議」の会合に招かれて出席し、以来憲法を理解してもらうために自民党憲法族と付き合ってきたのですが、2012年に小林教授が説いてきた憲法論とは正反対の「自民党改憲草案」を見て護憲論に転向したそうです。「もはや今の政治に、憲法を変える資格も知性もない。危なすぎる。首相たちはとにかく改憲してみたい、という『改憲マニア』なんです。」なるほど、改憲の理由など最初からないわけがこれで納得できました。だとしたら、こんな風に権力を弄ぶ政権が確かに何をするかわからないという意味で途方もなく危険です。憲法とは何なのかをきちんと学んだことも考えたこともない連中に、これ以上政権を預けておくのは日本の危機と言えます。

 彼らの政権を支える大きな基盤が日本会議です。このグループがとなえる「大日本帝國憲法を持つ国」は、国民は天皇の臣民であり天皇に絶対服従です。天皇がすべての権力を持ついわば独裁体制に近い国家なのです。この体制が何をして国を滅ぼしたのか、をまったく検証も反省もしない精神所有者たちです。一種の狂気集団と言えます。この狂気があの戦争を起こし国を滅ぼしたのです。責任はこの狂気を許した国民にもありますが、現憲法下ではこんな狂った政治家集団を排除できる選択権が国民に預けられています。クーデターがあれば無効ですが、、、。

 そもそも憲法とは何かといえば、以下のようにまとめることができます。
国家権力による専制から国民を保護するために作られてきた憲法の端緒は、イギリスの立憲君主制の成立過程に見ることができます。憲法の原点ともされるマグナ・カルタは、国権(特に国王の権力)の限界を規定し、国民の権利(身体的、経済的自由権)を保護する目的で明文化された最初の文章と言われています。このマグナ・カルタが以後のすべての憲法の原点とされてきました。しかしイギリスでもこの考え方がすんなり歴代の王に受け入れられたわけではなく、その後17世紀になるとこの「法による政治」を良しとせず、無視し専制的な政治を行う王が現れ始めました。そのため清教徒革命、名誉革命を経て1689年にウイリアム3世が受け入れたのが「権利章典」でした。内容は、「議会の同意を経ない法律の適用・執行の禁止、議会の同意なき課税・平時の常備軍の禁止、議会選挙の自由、議会内の発言の自由、国民の請願権の保障、国王の議会召集の義務、議会における議員の免責特権、人身の自由に関する諸規定」など、以前の法を踏まえつつ、より細かい人権保障の規定をしたものとなりました。権利章典は、王の専制を排除する近代的な議会制民主主義を確立した法として、現在まで各種憲法の原点となっているのです。「国王は君臨すれども統治せず」という原則は、君主が政治的権力を持たない立憲君主制を確立したという意味で画期的なものであり、またこの理念は現在の日本国憲法の象徴天皇制にも受け継がれています。憲法第97条はこのことに明確に言及しています。

 明治時代の大日本帝国憲法も体裁は「立憲君主制」でしたが、内情は国民の自由はまるでなく天皇の独裁と言ってもいいものでした。この天皇の持つ大権である統帥権を利用した陸軍の参謀本部や海軍の軍令部が、あの戦争を起こし暴走したわけです。改憲マニアである自民党政権は、再度このような国を作りたいのでしょう。その方が権力者としては統治がしやすいからです。同時に戦争ができるような国にして、隙があればアメリカに一泡吹かせてやりたいとも考えているのでしょう。現憲法の精神とは明らかに対立します。

 平成天皇が静かにしかし断固として護憲の戦いを続けたのは、この憲法の精神が戦後の日本人に残された唯一の生きる道だと信じたからであり、またこの先も最大の拠り所であると疑わないからであろうと私は推察しています。たとえアメリカに押し付けられた「みっともない憲法」と考える者があろうが、良いものは良い。もしこの憲法が押し付けられたものでなく自主的に日本人が作った憲法であれば、改憲マニアたちはそれを認めるのか??そうとは考えられません。この憲法の精神そのものが彼らにとっては恥ずかしくみっともないものなのですから。とにかく独裁者になりたい改憲マニアには、そろそろ私たち日本人の名誉革命が必要です。

 

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