過去の楓舎小屋便り

2020/8/30

安倍政権、この邪な集団が残したものは不毛の荒野だ。

 安倍政権の7年8ヶ月が残したのは、回復にこの先どれほどの時間がかかるかわからぬほどの不毛の荒野だ。日本という国家の具体的な姿だけではなく、国民の多くに植え付けた極度の倫理低下が、現在の寒々とした言論空間を作ってしまったのです。 たとえば、 わたしはツイッターには参加していませんが、そこで繰り広げられているあまりに幼稚で悪意に満ちたことばの垂れ流しに、ヘドが出そうになります。この傾向は安倍政権になってから一気に過激化し、面と向かってはなかなか言えないような悪罵が普通になりました。とくに安倍政権を擁護しようとする側からの発言に顕著となっています。 私は途中からこれらの発言も安倍首相自身の無意味な言葉も無視してきました。まともに向き合うと気が狂いそうに腹が立つからでした。この思考停止をもたらしたあたりのことを、うまく言えないわたしの代わりと言っては語弊がありますが、白井聡は大変的確に表現してくれています。 「自分の足許が崩れ落ちるような感覚、深い喪失感、、、こんな政権が成立してしまったこと、そしてよりによってそれが日本の憲政史上最長の政権になってしまったこと、この事実が喚起する恥辱と悲しみの感覚である。 」(「安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」 論座 8/30 日号)

 直近の世論調査によれば安倍政権の支持率はまだ30%もあり、私はこれまでこの数字に表れる有権者の姿勢をかなり強く攻撃し嫌悪してきました。それで我が溜飲を下げてきたのです。しかしそれではなにも問題の解決にならないのでしたし、かといって私にはそれ以上のことは考えられなかったのです。この30%という支持率についても白井聡はより深い受け止めをしています。 「この支持者たちは私と同じ日本人、同胞なのだ。‥‥ 己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた。隣人(少なくともその30%)に対して敬意をもって暮らすことができないということがいかに不幸であるか、このことをこの7年余りで私は嫌というほど思い知らされた。」(同 ) とても豊かな感性と洞察に圧倒されます。

 国民の倫理観、道徳観に大きく影響を与え、しかも一気に低下させ、そのうえ嘘、ごまかし、隠蔽、改竄と日本の政治をこれでもかというほど傷つけてきたこの政権が私たち国民に見せつけているのは、社会の健全性を保つのに必要な最大のものを、「公正」や「正義」もふくめて破壊し尽くした荒涼たる現実です。安倍首相は辞任することでこれらの責任や罪から逃れられるわけではありません。 病気は病気として回復させてもらわなければなりませんが、自身の為したことの検証は今後も厳しく行わわれることを覚悟してほしいものです。

 

2020/8/27

「終戦 」では、戦後は終わらない。

2020年我が家の梅が大豊作!

 ことし、果樹が豊作です。梅は枝が折れそうになるどころか幹まで倒れるほど身を付けましたし、ナシは細い枝にやはり折れそうなほどなっています。数年前に知人からもらったぶどうも、今年ついに房状に実を付けています。昨年まではポロっ、ポロっと数粒なっただけでした。春先に堆肥をやり、肥料もやり、HB-101をかけてやったのがよかったらしい、とは思いますが、どれが決定的なことだったかは判然としません。しかしまあ、天候も含めいろんな条件が良い年であることは確かです。梅はいま陽に当てて干しているところですし、ナシもブドウもこの後の収穫が楽しみです。

 ところでこの8月も「終戦」を巡る行事や記事がにぎやかでした。 「戦後75年」たってもなお敗戦を「終戦 」と言い続ける官民の無神経、または意図を考えるとやりきれなくなります。 そもそもこの言葉を使い始めたのが誰なのか、どこなのかははっきりしませんが、少なくとも8月15日の「玉音放送 」の中では敗戦も終戦も使われていません。ただポツダム宣言受諾を「通告セリ 」と表明しているだけです。このあたりからこのことばのごまかしが始まったと私は考えています。この天皇の詔勅を作る段階で周囲の官僚たちが敗戦と言う言葉を使いたくなかったのであり、同時に天皇にもこの言葉を使わせるのは残酷かつ恐れ多いとか何とかへりくつを付けたものと考えられます。J-CAST というニュースサイトで元朝日新聞経済部記者だった岩城元も触れていますが、戦前に重要閣僚だった岸信介が戦犯容疑も逃れて戦後政界に復帰したことが、「終戦 」といことばを政治家にも国民にも「既成事実 」であるかのように、なし崩しに滑り込ませたということは当たらずとも遠からずでしょう。

 この言葉は、戦争を主導して結局負けるに至らせた旧軍部の指導者や、これらの軍部に唯々諾々と従っていたにもかかわらず戦後政治に返り咲いた官僚たちにとっても、あるいは国民にとっても、敗戦というよりは非常に耳障りがよくその後の復興にも誠に都合の良い言葉でした。 だから何も問題ないではないか、というのは間違いなのです。 まず敗戦と言えば当然戦争指導者の責任を問うことが自動的に発生しますが、「終戦 」ならそれは曖昧にかすんでしまいます。 これは彼ら軍部と一体であった官僚たちにも言えます。戦後の国内統治をアメリカに言われるままに行う時に、国民をおとなしく従わせるのに最適のごまかしでした。 また国民にとっては地震や台風のような自然災害と同様に、戦争も災害の一つと思えば腹も立たないしあえて敗戦と言って「波風立たせる 」こともないだろう、そんなことより食う方が先決だとやりすごしました。 「終戦 」という言葉は自動詞です。雨や風がおさまるように戦争も「いつのまにか 」終わったのだと言うことです。 しかしここに重大なすり替えがあります。 戦争は自然災害ではありません。いつの間にか始まって知らぬうちに終わった、のではありません。 人間の意志で起こした凶悪犯罪なのです。殺人という究極の悪を合法的に行うものです。 これが自然災害と同じわけがありません。したがって殺すか殺されるかしなければこの凶悪犯罪は終わりということになりません。そして日本はこの殺し合いに負けたから、 無条件降伏を受け入れたのです。降伏したのです。 負けたのです。 敗戦です。 これを端に「終戦 」というのはそういう意味で間違いであり、きちんと敗戦と言わなければなりません。 このことは自虐史観でもなんでもなく、客観的な事実です。

 75年も経つのに為政者はこのごまかしを続け、国民は国民で気がつかぬふりをしています。たった一つの言葉をありのままに言うことができないばかりに、75年間もアメリカの属国あるいは植民地のままです。太平洋戦争で日本は負けたのであることを正面切って言いかつ認めない限り、日本の戦後は終わりません。白井聡が言うようにこのままでは永続敗戦なのです。

 

 

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