過去の楓舎小屋便り

  

2017/5/22

きちがいに刃物、バカに権力

2017年春の新緑

 桜も終わり梅が咲いています。季節は早春、でしょうか。新緑が美しく進んでいます。フフフ、フフフ、と若葉がさんざめきます。まだ虫も少なく快適です。こんな時期もいいなあと思います。

 このごろニュースに接するたびに、絶句することだらけです。安倍政権のおごり、堕落です。自民党内部からの異論、抵抗は全くみられません。いったい彼らは何のために議員になったのかと今更ながらあきれます。総理大臣の権力がこれほどまで強力になってしまったのはなぜでしょう。議員たちは次の選挙の公認のためだけに唯々諾々、権力の奴隷です。権力は腐敗するものだとはいえ、ここまで露骨に権力を振り回し低劣な言辞を弄する者たちを見たことがありません。過去の自民党にも何度か一人勝ちの時代がありましたが、権力を行使することに幾ばくかの躊躇や後ろめたさを感じていたように思います。しかし安倍政権にはそんな倫理はすべてはがれ落ち、ひたすら目先の金とアメリカのために邁進しています。しかもその論理や言葉が欺瞞に満ちています。森友学園問題に見られるように、誰だって安倍夫妻が密接な関係を持って影響力を行使していたのは間違いないと考えているのに、あくまでもしらを切る、あるいは「法的に問題はない」と繰り返す。法の編み目をかいくぐる悪徳業者さながら、陰の力をこれ見よがしに使っています。もはやきちがいに刃物、バカに権力としか言いようがありません。

 その中の一つに憲法改正があります。私は現憲法を変える必要はないと考えています。私にとって大きな不都合がないからです。つい先頃まで「憲法審査会で議論を始める」と言っていた首相が、最近は「改正憲法の施行を2020年にする」などと言い出しました。三権分立をこのような既成事実を重ねてなし崩しにしようという意図が見てとれます。「自民党総裁としての発言」という逃げ道まで用意し、自らの意志を公にし「そんたく」させようというのです。議論をそのようにして脇道へ導き、そもそもなぜ憲法改正が必要なのかという根本を忘れさせる手法です。つくづく姑息です。「押し付けられた憲法だから」とか「教育の無償化を明記する」だとか「自衛隊を合法的な存在にする」とやらの為に憲法改正が必要だそうですが、それらは皆隠れみので本心は戦前の明治憲法と同じようなものにしたいということしかありません。今国会で審議中の「共謀罪」も発想は同じで、国民の精神的自由など不要で君主のいうことを黙って聞いていればよいという支配を復活させるのが目的です。そして、今の憲法を押し付けられたのは「戦争に負けたからだ」という単純ではあるが重大な論点には決して触れません。「押し付けられた」ということばかりを過大に吹聴し被害者意識を焚き付けます。また国民はよく考えもせずうかうかこのいかさま論にはまっているようです。ある日突然、青天の霹靂のように今の憲法を押し付けられたわけではないのです。戦争に負けたことが始まりであり原因です。これは見ないふり、忘れたふりをして議論をしても壮大なごまかしにしかなりません。

 さらに日本が独立国家であるというのは表向きのことなのであり、実際はアメリカの属国であることを認識することから始めなければ真に「自分たちの憲法」など作れるわけがありません。真に独立して初めて「我が憲法」を作り始められるのです。ここの順序が逆になっています。そのうえ以前も書いたことがありますが、日本という国は昨日までの敵を翌日から「アメリカさん」と呼びかえ抵抗もせずに態度をあっさり変えた無節操な国民が、70年あまりにわたって作ってきた「いかがわしい国」でもあります。そんな国が「自分たちの憲法」なんて言ったって、笑止千万、へそが茶を沸かします。私はですから、そういう意味でも憲法をいじくる必要など全くないと考えるのです。人間性という高度に陶冶された人格を持たない首相を選ぶような国民が、憲法改正などしても気がついたら明治憲法と同じだったというのが落ちです。

2017/3/29

できるけどやらないでおく、という選択。

2017年2月 パウダースキー

 この冬こんなスキーを何度か楽しみました。神々しい雪面をしんとした空気の中で滑ります。静かです。3月に入ってからは、もう大雪はなく、どんどん融けて今は既に地面が見え始めています。日中の気温もプラス5〜8度になっています。この後はしばらく雪解け道で足下の汚れる時期になります。

 3月12日の毎日新聞朝刊「時代の風」で、長谷川真理子 総合研究大学院大教授が発している問いに、思わずうなってしまいました。「私たちはなぜ、こんなに進んだ人工知能を持たねばならないのだろう?ヒトの脳の働きを解明する科学もロボットを開発する技術もあるが、だからといって、ヒトの脳を模した、またはヒトの脳を超えた人工知能を開発『せねばならない』わけではない。」私が若い頃から考えている「できるけどやらないでおくという選択」と共通する問題意識だからなのでした。私が何をきっかけにそう考えるようになったのかは覚えていませんが、ああ、ついに同じようなことを考える人が表舞台に出てきたのだと思うと、うれしくなってしまいました。しかし、浮かれている場合ではありません。この先、私たちの知性は果たして何を選択していくのか、何をつくり出していくのかを考えると、単純に「科学の進歩」を讃えてはいられないからです。

 日本の近代だけ考えても、成長、進歩、前進、前向きといったたぐいの価値が文明化、工業化を推し進めてきました。150年経って、さて、これからどうしようかというところまできています。水野和夫が言うように「より早く、より遠くへ、より合理的に」資本主義を生きてきた結果、皮肉なことに後ろ盾としてきた種々の価値が存在理由を失いつつあります。そんな中に登場してきたのが、AI です。これまでの流れからいけば、当然これをネタに金儲けしてやろう、これからはAI が「成長産業」だ、と飛びつく人間が現れるのは目に見えています。すでに世の中には会話のできるロボットが人間の代わりをしている職場があります。AI はこの先どこまで進化していくのか?を考えると、何やら不気味なことになりそうで立ち止まります。

 新たな発明、発見があれば何でも文句なしに賞賛されてきた時代を、私たちは長く生きてきました。そこに疑問の余地はなく、すべて人間の幸福に寄与するものであると考えることになれてきたのです。しかし、原爆がそうであったように(強制されたとはいえ)科学者の興味だけで開発するものが、必ずしも善ではなく悪そのものになることも知っています。ただ、これまでは善であることが多かっただけです。それに比べると、AI は人間の脳の「計算できる」部分の大半を代行できるまでに発展しているという意味で、 強大な質の変化を伴います。私たちの知性を凌駕するようなことになる可能性もあります。ここに、できました、作りました、だけではすまされない問題が発生してきます。

 まず、そういう高度な知性と言えなくもないものを誰が必要としているのか。次に、それがなければ誰が困るのか。さらに、それが人間生活に取り入れられた時にどんな影響があるのか。たったこの3つのことだけでも見通すのは容易なことではないでしょう。科学者が自分の興味だけで何かを開発する時代は終わりました。それでもなお興味をや欲求を抑えられずに何かを作るなら、最低限先にあげた三点についてだけでも検証し公表する義務を負うべきではないでしょうか。あるいは、科学者の研究は常に監視する必要が出てくるかもしれません。現在すでに軍用の技術開発にシフトしている学者も多く、単に、好きなことだけに打ち込む「〜ばか」では社会的にも倫理的にも許されないことになります。たこつぼ研究だけではなく、可能な限り全体を見渡す能力も必要になります。

 ちょっと土俵の違う話をさせてもらいます。私は30年あまり前に注文家具の仕事を始めました。だんだん仕事に慣れてくると、今自分のできる技術を何もかもある家具に注ぎたくなります。たとえばほぞ組の家具なら不必要に通しほぞにして楔を打ち、こんなに頑丈にかつ手間ひまかけています、というアピールをしたくなります。タンスなら、本体にも引き出しにも蟻組を使ってみたくなりますし、テーブルの天板にわざわざホンザネ矧ぎを使ったりもしました。できることは、やってみたくなるものなんです。その後徐々に、この家具にはこの技術は不要だし、お客様も気に入らないだろう、と考える余裕ができ、今はできるだけさりげなく必要な技術だけ使うようになっています。

 できるけどやらないでおくという選択は、作る側使う側双方に必要な見識でしょう。長谷川教授が触れているように、まるで人間のように世話してくれるAI に囲まれて暮らすのなんて嫌だ、という感性の確認が出発点であり、ヒトとしての判断の原点ではないかと思います。これに反するものは特に必要ではないということになります。

2017/1/31

固定観念、または既成概念

2017年1月の積雪の様子

 今シーズンは雪の多い十勝地方です。まとまった雪が何度かあり、すでに屋根の雪下ろしは母屋で4回になりました。他の小屋も一度はおろしました。そのおかげで初めて1月中の深雪体験が出来ました。キラキラ輝く神々しい斜面を滑るのはこの世のものとは思えません。至福の時です。

 さてさて、この2〜3ヶ月トランプたたきがやみませんね。世界中のインテリ、マスコミ、政治家、学者、企業家がこぞってこの「新時代のヒーロー」とも言うべき人物をののしっています。果ては、すでに彼が大統領に就任した後になっても「トランプ反対!」のデモが世界中で起きています。

 これはしたり!何を言っているんでしょうか。トランプはアメリカの「立派な民主主義」によって選ばれた大統領なんですよ。それになんだかんだと言いがかりをつけるのは、つまり民主主義を否定する事になりませんか。私はトランプが大統領選挙に勝ってからの世界の「有識者達」の論評がおかしくてなりません。だれも彼もがもっともらしくトランプの下品さをあげつらい、政治的蒙昧をあざ笑います。しかも彼が何故選挙に勝ったのかについても否定的な見解を表明するのです。

 その中で最も気になるのが、「ポピュリズム政治家」というレッテル貼りです。悪の権化のような言い方をしますが、これの何が悪いのでしょう? 大衆の代表では何故だめなんでしょう? 知識や教養が無い人々が大多数で、しかもその人々が投票した人が大統領に選ばれるとそれはポピュリズムなんでしょうか? 政治は大多数の人々のためにあるものですから、これらの人々の意向が反映されずにではどんな人々の意向を反映すればポピュリズムではないのでしょう? いわゆるリベラルな階層でしょうか、知性や教養のある階層でしょうか? また、大統領になるべき人とは演説のうまい人ですか、それとも世界を広く見渡して「最良の道」を選べるような「政治的エリート」でしょうか?

 トランプのような人が大統領になられては困る既得権益を持つ者達(経済界)、または長くアメリカを世界の盟主と考えて生きてきたすべての人々や国々、これらの人々や国々が口を揃えてトランプを否定しようとしているように見えます。どれもこれも固定観念か既成概念としか思えません。これまではそのような意識やシステムでよかったでしょう、しかし今後もそれでやっていけるのかを考えた時、トランプを否定するだけでは何の展望も現れない事に気付くべきです。

 大航海時代から始まった地球規模の資本主義が、500年余りを経ていよいよ先が見えなくなってきました。資本主義は終わり始めています。未来を見通せない時に、トランプはとりあえず破壊するために現れたと私は考えています。確かに有効な手だてはあまり持ってはいないのでしょうが、とにかく今までのやり方ではもうやっていけない事を、実業家としての勘で気付いているのだと思います。手始めに偽善に覆われていた世界をもう一度裸にして、本当はどうなんだ、じつは猿からたいした進歩などしていないだろ、と宣言しているのだと考えられます。固定観念や既成概念でいくら抵抗しても、世界はもう次の価値を創り始める時代に入った、そういう流れに飲み込まれていく事でしょう。

 金儲けが命という価値も民主主義も、資本主義とともに朽ちる事になります。そろそろ私たちひとりひとりも、世界がどうであろうとアメリカがどうなろうと自分がよって立つ自分の価値を確立しなければなりません。誰かが作ってくれるのを待つだけでは、戦後に民主主義を与えられた時のように何も考えず盲信する事になるでしょう。猿とは違うというのなら、そこがポイントになります。私がいつも考えているのは、自分には生きるのにどれほどの物や金や人間関係が必要なのか、ということです。どれも過剰になれば必ず、生きる事より所有する事が目的になってしまいます。そういう本末転倒にならぬよう自らの頭で考える事が必要です。

 

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